12月04日  ジョニー大倉逝く
 ジョニー大倉が亡くなった。1970年代の若者は、永ちゃん、ジョニーの居た「キャロル」に少なからず影響を受けたはずだ。

 それは16歳の秋、フジテレビの「リブヤング」を見ていた時でした。突然無名のバンドが、革ジャン、リーゼントで出て来た。まるでハンブルク時代のビートルズを見るようだった。演奏したのは「ルイジアンナ」。英語の歌詞だったので「カバー曲かな?」と思った。衝撃的な映像でした。

 その直後、ローリングストーンズの初来日が決定し、銀座、渋谷のプレイガイドで並んでいると「あのビートルズみたいなバンド見た?。」と話題になっていた。

 初めて生で見たのは翌年の2月。場所は渋谷公会堂。その日の会場はいつものロックコンサートとはとは違っていた。この頃、ロックコンサートに来る若者は、長髪で、バルボトムのジーンズか、バギーパンツ。靴はロンドンブーツと言うのが普通。しかしこの会場には、リーゼント、革ジャン、マンボズボンにスニーカーのティーンエイジャーが沢山居た。

 彼らは開演前からハイテンションで、渋谷公会堂の壁を登ったり、前列あちこちで揉め事が起こり、人が飛んで居たりした。みんなキャロルを待ちきれない。

 キャロルが出て来ると、最前列に人が押し寄せる。そしてまた揉める。キャロルのメンバーも大きいコンサートは初めてで、途中ジョニーがステージ上で失神した。後で聞いた話だが、出番前、ジョニーは緊張の余り、1升瓶で酒をあおり続けたのが原因だったそうだ。が、 これがまた話題となった。

 その後、リーゼント、革ジャン(当時はバイクショップにしかなかったそうです) 英語と日本語が混じった歌詞はその時代には新しく、10代の若者、暴走族らに人気となり、山本寛斎はパリのショーに演奏させ、NHKの龍村仁は、ドキュメンタリを制作(その後「テレビ向きで無い」という理由で放送中止。龍村はNHKを辞め、ATGの配給で劇場公開された。)

 キャロルの出現は若者文化や社会に大きな影響を与えた。

 音楽では、ジョニーが書いた歌詞。70年初め頃「日本語ロック論争」と言うのがあった。
(60年代末ニューロックという言葉が流行して、ニューロック=新しいロック、これからのロックは、日本語で歌うべきか、英語で歌うべきかが「議論」された。
 日本語はロックのメロディーに乗らないというのが、海外志向の、内田裕也、FTB、Bクリエイション、モップスなどの海外進出派。一方は日本語で歌う、はっぴーえんどなどの俗に言う、ニューミュージック派)

 そんな中、キャロルは日本語と英語の混じった歌詞をメロディに載せ、日本語ロック論争を越えた。そして今の「日本のロック?・ニューミュージック?」の新しい形が此処から始まった。ジョニーの功績は日本のロック史に大きな影響を与えた。もっと評価されてもいいと思うのだが、解散後音楽より役者の仕事が多かったせいか。

 キャロル解散後も時々、ジョニーの歌を聴いた。甘くパワフルな良い声でした。私より4歳上でした。
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