12月05日  命の尊さを知る人
朝日新聞声の欄より(抜粋)

親はどんな子共でも大切なのです   5歳で亡くなった娘は、乳児型神経軸索ジストロフィーと言う難病で、いわゆる障害時だ。障害者の子育ては肉体的にも、精神的にも大変だと言う事は否定しない。でもこの子が生まれて来なければ良かったと思った事は一度も無いです。

 子供の命があるだけで幸せです   我が家の小学生3人のうち2人は特別支援学級でお世話になっている、重度の障害時です。障害児の親として、地域や社会に後ろめたい気持ちは勿論あります。将来社会の担い手でなくお荷物になる子を産んだのですから。でも、私の生きがいは子供を守り、子供の笑顔を見る事。子供の命があるだけでもう幸せなのです。

 障害者を差別する発言に驚き   障害児が生まれると、家族は負担で不幸だと言う考えは一方的な決めつけだ。障害を持つ可能性は様々で、後天的な障害もある事、障害は個性の一面でしか無い事、障害の有無と、幸福は本質的には関連が無い事を、厚生省専門委員会は指摘している。教育に関わる者が、障害児を差別する発言を取れば、健常児障害児はますます分離されて行く。

 ダウン症の子は人生の師   娘がダウン症と知った時、本当に驚き、悲しみました。でも娘がもたらしてくれた出会いが、私を成長させてくれました。娘の中の不自由さに出会った時、「当たり前」が全部壊れました。でも、壊れてよかったのです。風景が変わりました。街で杖をついている方、車イスの方、知的障害の方に目がとまります。手助けが必要なら、すぐ駆けつけようと思う気持ちになります。娘がいなければ、私は街の風景にさえ、無頓着だったかもしれません。障害のある方に、敬意をもって接するのが当たり前になりました。彼れから学び、気付きを得る機会は数えきれないくらいです。私にとって娘は誇り。彼女がくれた出会いと優しさに感謝。

 私はこの記事を何度も読みました。皆勇気をもって実名で書いています。人に優しく、言葉に心がこもっている。

 私の生まれた辺りにも、障害がある人が居ました。なのでそれがあたりまえと思っていました。私が居た保育所では「健常児も障害児も共に地域で育つ。」として、近所の小学校へ障害のある子の送り迎えをしていました。その後の学童保育でも、障害のある子供達のグループと一緒にキャンプなどもしました。それが当たり前と思ったからです。

 障害は先天的なものだけではありません。私にも可能性はあり、誰にでもあるのです。今回この記事の発端となった、茨城県の教育委員のあなたにも。効率よりも人が活き活き生きられる社会を目指し、畑を耕します。
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